「恋バナ」について何も学術的な視点を入れず語ろうと思う
こんにちは。わなみあやです。
秋学期も相変わらず学術に忙殺されてます。自分の読んだ論文など体系的に整理していったり,ある学問分野についての本を読んだり,もっと知見を深めたりと,やりたいことは多いのですが,確率・統計に悩まされている日々が続いています。
さて,今日は久しぶりに何も考えず,恋バナという概念自体についてだらだらと話していきたいと思います。何も考えてないので,その辺は悪しからず。
☆性を考えることは避けて通れない
男性→女性,女性→男性という恋愛の形が,当たり前のように定着している社会の中で我々は一応暮らし,生活を営んでいるわけですが,その前提条件は疑ってもいいのではないのでしょうか。
研究でも,暗黙の了解として異性間の恋愛が前提条件におかれています。しかしながら,性に関して多くが叫ばれている現在,そこに断然として存在するその問題を無視することができるのでしょうか。
男女の違いというものは,社会的要因,生態的な要因などによって引き起こされるものでありますが,その違いというものを一方的なマジョリティの認識のみによってとらえ,少数派の恋愛というものを考えなくてよいものでしょうか。
☆恋バナは何かを解決するのか
するんですかねえ,しないんじゃないんですか?
人間は他者に共有したり,他者と何かを比較したりすることが大好きな生き物ですから,何かを話してみたくなっちゃうんですよね。
しかし,「こうしたら?」って言ってもらえることって,案外ないんじゃないんですかね。何も考えず何かが得られたような気がしてとりあえず行動してみるみたいな。結局。でもできないし。みたいな。
でもそういう楽観的勘違いっていいですよね。聴いてもらっているだけで,なにか解決したように錯誤できるみたいなさ。
まあ,将を射んとする者はまず馬を射よと言いますし,周りに何か話すことで何か少しでも変わるならやってみる価値はあるんだと思いますけどね。
☆過去の恋愛の話を好きな人とすること
恋バナって、現在、過去、未来の3パターンに大雑把に分類できると思うんですけど、過去の話を、「発展可能性」のある人とするのってなかなか難しいと思うんですよね。ってか無理じゃないの?
過去の何かを話すことによって、印象形成は進んでしまうわけですし。かといって、全く何もなかったとも言えないし、どういう返答が正しいんでしょうか…?
まあ、何も考えずにはなしたおかげで全くまとまっていないのですが、今後はもうすこし読み手のことを考えて執筆しなきゃですね( ;∀;)