恋愛とメディア。最近のメディアが我々に与えている影響を考察する
こんにちは。わなみあやです。明日提出のレポートがあるのですが、手を全くつけていない割に危機感が全くありません。
恋愛経験は、これまで一部の人にしか発信できないものでした。たとえば、ライターなど。自分が見聞きしたこと、実際に経験したことなどをもとに、物語として紡ぎ、世に発信していっていました。
しかし、そのようなロマンティックラブイデオロギーを、だれでも容易に発信可能にしたのが昨今のメディアです。
画一的な恋愛の流れを提示すること(例えば、高校生のデートには手をつなぐことをしているのがふつーだよみたいなことを紹介するということ。)が主な役割だった雑誌などのメディアの役割は最早終わり、最近のメディアのあり方という概念が新たに存在するようになりました。
(まあ、
①発信者が特定の人だけだったメディア
②発信者が増えて、望めば相互的なつながりを持てるようになったメディア(チャットなど)
③発信者=受信者となり、多くの人が巻き込まれているメディア(Twitter、Instagramとか)
みたいに、大きく分けて3つの時代区分ができるのでは?と個人的に考えてはいるのですが、メディア×恋愛みたいな研究も全く進んでいないので、このような変遷を考えることが未だ難しいのが実際です。)
SNSとかは、最近のメディアの典型例としてあげられるでしょう。ある日いきなり名もない誰かでも、バズるという感覚を得ることができる(それがなにかにつながる可能性も秘めてますがそれはおいておいて)メディアは、かつて登場してはいません。
恋愛に関しては、
①不特定多数の誰かに私たち付き合っていますということを主張することができる(=コミットメントが可能になる。)
♡コミットメント:もともとはミクロ経済学の言葉。ゲーム理論で使われることが多い。相手の信頼を得るために、未来の自分の行動を縛るような行動を現時点で行うこと。ここでは、付き合っているよと不特定多数の人に言うことによって、「他の人と付き合う」とか、「秒で別れる」とか社会的に逸脱した行為を行いにくくできるよということ。
→逆に、「SNSに載せるのを渋る」という行動を取るということは、そのような行為を行いたい可能性があるってこと。(もちろん、普通に見せびらかすのが嫌っていうパターンもあるしそっちの方が多いと信じてる)
②互いを監視する状態に陥る
互いと言っても広い意味での互いってことでして、誰誰が何をしているというのを知ることが比較的容易になってしまったなかでは、大量の周りの人の情報を得ることができてしまいます。
そこに付随するデメリットとしては今更羅列するまでもないのでしょうが、私が思うのは、人の持っている属性、性格、特徴がたくさん見えていると、その人に対しての興味関心って、見えていないときと比べて薄れませんか?ってことです。
知らないよりかは、知っている方がいいことも往々にしてありますが、見知っただけなのにSNSなどであまりに多くを知りすぎるっていうのは、恋愛関係を形成する上で自己呈示がある程度必要なことを鑑みると良くないことかなあと思います。
★まとめにはいろう
SNSの使用頻度と恋愛経験の相関関係、因果関係を調べてみても面白いかもしれませんね。
確かにメディアのせいでお互いを知りすぎるのは良くないかもしれませんが、他者の入り口(この人はどんなことして、何考えているんだろう)を知れるのは、可能性を高めるうえで有用かもしれないですし、メディアの登場前と登場後で、メディアをどのように使う人の恋愛経験が大きく変化したのか、比較検討すると、新たな知見が得られるかもしれませんね。(ってか今度やろうかな。先行研究調べて、そこの調査からデータ抜いて、再編成すればでてくるかもです。)
ま、漫画やドラマで新しいメディアが果たしている役割とかみてみると、きっと前の時代とは変わってきてて、面白いんじゃないんですかね。暇があったらやってみたいです。