恋愛を科学する

現役東大生が昨今の恋愛研究や、自身の恋愛研究を紹介します。既存のメディアの均一的な情報に皆さんの恋愛が左右されることがないよう、実際の恋愛のありようや、行われている恋愛研究など最新の知見を通して知ってもらえたらなと思います。行動経済学・メディア学・社会心理学なら少しは語れる。かも。

恋愛とメディア。最近のメディアが我々に与えている影響を考察する

こんにちは。わなみあやです。明日提出のレポートがあるのですが、手を全くつけていない割に危機感が全くありません。

 

 

恋愛経験は、これまで一部の人にしか発信できないものでした。たとえば、ライターなど。自分が見聞きしたこと、実際に経験したことなどをもとに、物語として紡ぎ、世に発信していっていました。

しかし、そのようなロマンティックラブイデオロギーを、だれでも容易に発信可能にしたのが昨今のメディアです。

画一的な恋愛の流れを提示すること(例えば、高校生のデートには手をつなぐことをしているのがふつーだよみたいなことを紹介するということ。)が主な役割だった雑誌などのメディアの役割は最早終わり、最近のメディアのあり方という概念が新たに存在するようになりました。

(まあ、

①発信者が特定の人だけだったメディア

②発信者が増えて、望めば相互的なつながりを持てるようになったメディア(チャットなど)

③発信者=受信者となり、多くの人が巻き込まれているメディア(TwitterInstagramとか)

みたいに、大きく分けて3つの時代区分ができるのでは?と個人的に考えてはいるのですが、メディア×恋愛みたいな研究も全く進んでいないので、このような変遷を考えることが未だ難しいのが実際です。)

 

SNSとかは、最近のメディアの典型例としてあげられるでしょう。ある日いきなり名もない誰かでも、バズるという感覚を得ることができる(それがなにかにつながる可能性も秘めてますがそれはおいておいて)メディアは、かつて登場してはいません。

恋愛に関しては、

①不特定多数の誰かに私たち付き合っていますということを主張することができる(=コミットメントが可能になる。)

♡コミットメント:もともとはミクロ経済学の言葉。ゲーム理論で使われることが多い。相手の信頼を得るために、未来の自分の行動を縛るような行動を現時点で行うこと。ここでは、付き合っているよと不特定多数の人に言うことによって、「他の人と付き合う」とか、「秒で別れる」とか社会的に逸脱した行為を行いにくくできるよということ。

→逆に、「SNSに載せるのを渋る」という行動を取るということは、そのような行為を行いたい可能性があるってこと。(もちろん、普通に見せびらかすのが嫌っていうパターンもあるしそっちの方が多いと信じてる)

 

②互いを監視する状態に陥る

互いと言っても広い意味での互いってことでして、誰誰が何をしているというのを知ることが比較的容易になってしまったなかでは、大量の周りの人の情報を得ることができてしまいます。

そこに付随するデメリットとしては今更羅列するまでもないのでしょうが、私が思うのは、人の持っている属性、性格、特徴がたくさん見えていると、その人に対しての興味関心って、見えていないときと比べて薄れませんか?ってことです。

知らないよりかは、知っている方がいいことも往々にしてありますが、見知っただけなのにSNSなどであまりに多くを知りすぎるっていうのは、恋愛関係を形成する上で自己呈示がある程度必要なことを鑑みると良くないことかなあと思います。

 

★まとめにはいろう

SNSの使用頻度と恋愛経験の相関関係、因果関係を調べてみても面白いかもしれませんね。

確かにメディアのせいでお互いを知りすぎるのは良くないかもしれませんが、他者の入り口(この人はどんなことして、何考えているんだろう)を知れるのは、可能性を高めるうえで有用かもしれないですし、メディアの登場前と登場後で、メディアをどのように使う人の恋愛経験が大きく変化したのか、比較検討すると、新たな知見が得られるかもしれませんね。(ってか今度やろうかな。先行研究調べて、そこの調査からデータ抜いて、再編成すればでてくるかもです。)

 

 

ま、漫画やドラマで新しいメディアが果たしている役割とかみてみると、きっと前の時代とは変わってきてて、面白いんじゃないんですかね。暇があったらやってみたいです。

「恋バナ」について何も学術的な視点を入れず語ろうと思う

こんにちは。わなみあやです。

秋学期も相変わらず学術に忙殺されてます。自分の読んだ論文など体系的に整理していったり,ある学問分野についての本を読んだり,もっと知見を深めたりと,やりたいことは多いのですが,確率・統計に悩まされている日々が続いています。

 

さて,今日は久しぶりに何も考えず,恋バナという概念自体についてだらだらと話していきたいと思います。何も考えてないので,その辺は悪しからず。

☆性を考えることは避けて通れない

男性→女性,女性→男性という恋愛の形が,当たり前のように定着している社会の中で我々は一応暮らし,生活を営んでいるわけですが,その前提条件は疑ってもいいのではないのでしょうか。

研究でも,暗黙の了解として異性間の恋愛が前提条件におかれています。しかしながら,性に関して多くが叫ばれている現在,そこに断然として存在するその問題を無視することができるのでしょうか。

男女の違いというものは,社会的要因,生態的な要因などによって引き起こされるものでありますが,その違いというものを一方的なマジョリティの認識のみによってとらえ,少数派の恋愛というものを考えなくてよいものでしょうか。

 

☆恋バナは何かを解決するのか

するんですかねえ,しないんじゃないんですか?

人間は他者に共有したり,他者と何かを比較したりすることが大好きな生き物ですから,何かを話してみたくなっちゃうんですよね。

しかし,「こうしたら?」って言ってもらえることって,案外ないんじゃないんですかね。何も考えず何かが得られたような気がしてとりあえず行動してみるみたいな。結局。でもできないし。みたいな。

でもそういう楽観的勘違いっていいですよね。聴いてもらっているだけで,なにか解決したように錯誤できるみたいなさ。

 

まあ,将を射んとする者はまず馬を射よと言いますし,周りに何か話すことで何か少しでも変わるならやってみる価値はあるんだと思いますけどね。

 

☆過去の恋愛の話を好きな人とすること

恋バナって、現在、過去、未来の3パターンに大雑把に分類できると思うんですけど、過去の話を、「発展可能性」のある人とするのってなかなか難しいと思うんですよね。ってか無理じゃないの?

過去の何かを話すことによって、印象形成は進んでしまうわけですし。かといって、全く何もなかったとも言えないし、どういう返答が正しいんでしょうか…?

 

 

 

まあ、何も考えずにはなしたおかげで全くまとまっていないのですが、今後はもうすこし読み手のことを考えて執筆しなきゃですね( ;∀;)

 

恋愛を科学する~モテを科学する②~

こんにちは。わなみあやです。なーーーーーにも予定のない三連休、素敵で仕方ないですね…

 

 

 

今日はモテを科学する②と題しまして、じゃあ実際に自分の考え方はいいからモテにつながる行動を教えろやという声にお応えしたく、「顔はモテにつながるか?」ということについて考察していきます。

 

☆かわいいから、かっこいいからもてるんでしょ?

どうなんでしょうかね。案外そうでもないかもしれないですよ?

高嶺の花を羨むより、足元の草を拾えとはよくいったもので、それは買い手のみならず、売り手にも当てはまるのです。高嶺の花になってしまうと、羨まれるだけなんですよね。

例えば、男性が女性にナンパする状況を考えてみましょう(男女逆でも別にかまいません。)

この時、男性の女性に対する評価は女性の顔によってのみくだされるとします。あと、男性の数は女性の数と同数とします。そんで、付き合わないよりかはだれかと付き合った方がみんなうれしくなるとします。

 

そ、し、た、ら、みーんな顔が一番いい女性1に群がりますよね、顔にだけ目が向くとするならば。

このシチュエーションは、合コンなどにも当てはまるんじゃないんですか?

 

さあ、でも実際はそんなことないわけでして、それは「無意識に人々が自分の市場における評価を理解しており、そのもとで効用を最大化するように振る舞っている」からです。

 

前述の社会に一つルールを加えます。ナンパする女性は、一回しか決められないとします。

そしたら、顔が一番いい女性に群がることはなくなるでしょう。

(各設定で、そのルールのもと行動するとしたらどうするの?って自分で考えてみるとよいと思います。)

顔がいい人って、手を出されにくく理想になってしまう人っていますよね。顔がいいことって、必ずしも善であるわけではないんですよね。

 

☆わかったから、じゃあどうすればいいのか教えなさいよ

『恋愛を数学する』では、顔の評価と出会い系アプリで受け取るメッセージの関係は、以下のようにあらわされると述べています。 

メッセージ数=0.4N(1)-0.5N(2)-0.1N(4)+0.9N(5)+k Kはどれほど自分が活発かを示す定数。N(a)は自分の顔を5段階でa段階と評価した人の人数。 

特筆すべき点は、2,4と評価した人が多いと、メッセージをもらう数が下がるということ、1をつけられると逆に増えることではないでしょうか。ここにおいて、そこそこかわいいと思われるより、特定の人以外にはブスと思われたほうがいいことがわかる。 

 

あなたを好きになってくれる人は、たとえコンプレックスが存在しようと、それでも好きになってくれます。

だから、例えばトプ画とか、SNSで載せる写真でいい映りしてる写真ばかり載せようとしている社会、あんまりモテには続いてないんですよ。

 

 

 

 

とはいっても、なかなか難しいよね。自分の映りのよくない写真を載せるのって。

恋愛を科学する~で、どうすればもてるの?~

こんばんは。わなみあやです。

9月はばったばたで何も執筆できなかったので、10月取り返すつもりで頑張りたいなあと思ってはいるのですが、12月に資格試験があるもので研究が進んでいなくて…

9月にゼミの卒論計画を発表したのちに、来年の1月に年度末小論文を書くのですが、なんとかそこまでにはいろいろ頑張っていきたいなあと思ってます。。

また、余裕があれば自分の研究以外にも、恋愛研究についての考察を深められたらと思っているのですが、なかなか難しそうですね。ちなみに、最近の個人的なブームは人工社会です。「恋愛市場」を人工的に形成出来たら、あらゆる分析が進んでいくと思うのですが、どうでしょうか。

 

さて、今日は皆さんがよーく知りたいであろう、モテる方法についての一考察をしていきたいと思います。これがすべてというわけではないですが、何回か科学的な知見に基づいて「モテる」という概念をあらゆる学問分野で考えていきます。

☆モテるって何さ

さっそくですが、「モテる」って何でしょうか。

①自分の狙う異性に好かれること

②見境なく異性に好かれること

どちらもあり得ると思うのですが、欲するのはどちらでしょうか。たぶん、前者なのではないかなあと思います。でも、初手ではとりあえずどちらも考えていきましょう。

モテ関数=α*βとすると、

α=①、β=②ではないのでしょうか。どちらもある程度希求されるものではありますし…

前者は、分子を増やすこと、後者は分母を増やすこと、ととらえられるでしょう。

 

☆それにしてもどうしてもてないんだろう?

あなたは、どんな人にもてたいですか?

女性なら、身長は175cmあって、学歴は早慶以上で、年収はいくらいくら以上で…と願うことはキリがないでしょう。

男性も同じでしょう。優しくて家事をそれなりにしてくれて…と。

だけど、実際問題そんな異性って、そんないないでしょ?
恋愛くらい夢見さろって?高望みさせろって?

 

それでいてモテたいって、相反する望みってことなんじゃないんですかね。

ふつーの男、女はハイスペックなほうなんですよ。社会全体からみたら。

特に、女性からしたら、社会進出が進み、高学歴などを手に入れられるようになったから、上昇婚がかないにくくなったんですよ。

 

それでは、経済学部らしく、年収という尺度を使って具体的に説明いたしましょう。

 

 

♡年収400万って、高いほうですか?

高いほうですよね、20代男性の皆さん。

しかし、20代女性の57.1%が年収400万以上を求めているのです。

 

女性の皆さん、実際に年収400万以上の人々は何割いることでしょうか?

20代男性で年収が400万をこえている人々は11.7%しかいないのです。

 

これだけでも、結構な差というのが生まれてしまっているのです。

 

☆とりあえずそれでもモテたいのなら明日からできること

モテないというよりかは、「私のお目にかなう人」が少なすぎるのが問題なのです。

そのことを認識したうえで、それでも人々に普遍的に好かれていたいのならば、要は、「ストライクゾーンを広げる」のがいいんじゃないんですかね。

「私のお目にかなう人」というのが増えれば、分母を増やすことにつながり、必然的にモテにつながるわけでして…

まずは、可能性を広げるために、相手への期待の幅を広げ、許容できる相手を増やす、ということを初手の「モテテク」として紹介したいです。

 

…あれですね、かまちょと投げ網漁はモテる秘訣です。(わなみあや、2018)

 

 

モテるを科学するシリーズ、その2~我々の恋愛観の方が変わっているのさ~に続きます。他にももっといいたいことだらけ!

 

参考文献

明治安田生活福祉研究所 第8回結婚・出産にかんする調査 2014

恋愛研究者はどうやって恋愛を研究しているかを伝えようか

こんばんは。わなみあやです。

 

今回は、就活に関してだらだらと…

いろいろ就活に向けて動き出しているのですが、なかなか大変です。

 

まずはこの夏を包括してみると、結局3社のインターンに行くことができました。

金融に興味をもっていることもあり、金融2社、コンサルという形だったのですが、やはり「良い側面」しか提供していないということも相まって、どうしても「ああ、働いてみたいなあ」という感想を持つように踊らされているんだなあと思ってしまいましたん。

 

自己紹介や、何気ない会話の時、自分の研究について伝える機会がありますが、普段は「青年期の恋愛行動の経済学的分析、結婚の制度的分析」と伝えています。

ただ、これも善しあしあって、恋愛という事象は多くの人が興味を持っているからこそ、「何がわかるの?」とか「どういう手法で?」とか突っ込まれやすいような気がします。いろいろ聞かれがちなんですよね。困った困った。がちで独身の価値をrαとしたときに留保水準tのもと可能となる結婚は…とか言ってもいいんですけど、こんなこと言っても伝わらないし…って感じですよね。

他の人とかの研究だと、詳しく突っ込める材料を保持している人は多くないので、いろいろ聞かれなくて済むのでしょう。

私も本当に困ったときは「会計発生高アノマリーと西洋経済史、ブランドマーケティング、金融機関のリスクマネジメントを中心に、幅広く経済の事象を研究してます」とか言ってますもの。

 

まあ何が言いたいかと申しますと、あらゆる人に自分はこうだったとかいう過去の出来事などに伴う「主観性」が存在する事象だからこそ、人々がinvolveできるわけですよね。それがありすぎるのが問題なのであって。

なので、恋愛研究者は結婚を機に気にしなくていいから始めるようになったよという人もいますし…

「客観性」がもう少し人々や世間のなかで共有され、人の恋愛行動に干渉しないという社会であれば、このように研究の詳細を聞かれることもなさげですよね。

 

ま、自分は目下伝えることに対してはいいんですけど、いろいろ「語られる」のはしんどいなあと思ってます。いつか一緒にGW,GDする方、恋愛研究してるって人がいても、自分の恋愛経験を過度な一般化を通して押し付けるのはやめてくださいね笑

 

それではおやすみなさい。私は今日のインターンでへとへとです( ˘•ω•˘ )

改めて自己紹介と「恋愛を科学する」を紹介したい

こんにちは!東京大学3年のわなみあやと申します。

恋愛を経済学的に科学するということを普段はしています!

 

埼玉県の私立高校を卒業して、現役で文2に入ったのち、経済学部に進学しました。趣味は、手芸やミュージカル鑑賞、バドミントンです。

手芸はぬいぐるみからビーズアートまで、いろいろ手掛けてます…!

今は恋人はいないです。東大というのは、プラスにもマイナスにも作用するようです。東大というラベリングは困ったものです。

 

普段は、就活に目を回し、いろいろ不安になっている普通の大学生です。まあ普段といわずはっきりいっていつでもそうなんですけど。困った困った。

 

まあ、恋愛研究っていろいろ気になると思うので、一通り説明していきます。

 

恋愛を科学するとは?

「恋愛を科学する」というのは、私が東京大学に入学してから一貫して行っている研究や活動の総称です。これまで、いくつかのゼミで発表する機会をいただいてきました。

一例をあげると、「恋愛を社会心理学から科学する」とかです。

これは、恋愛行動がなぜ変化してきたのか、どのように変化してきたのか、仮説とともに論証を試みた一年のときの論文です。はっきりいって、ろくなできじゃないけど…

 

今回、3年生になって本郷に行ったことや、これまで考えてきたことをだれかに伝えたいな、このまま中途半端なまま終わりたくないなという思いがあり、ブログという形で発信していこうと決めました。

卒論も「恋愛を科学する」という内容で進めるので、こうご期待って感じですね。

 

なんでその研究をするの?

ま、そろそろまじめな話になりますと、昨今少子化・晩婚化が進展しており、問題意識としてあげられています。そのことは、青年期の恋愛行動や思考の変化によってもたらされたものだと考えたため、自らの本業である経済学から研究をしてみることにしました。でも、経済学と恋愛って関連なさそうだよね…

それに関してはまた今度。経済学と恋愛を関連付けて、いかに大切な視点かを紹介したいと思うの。

 

 

どうしても「学術」が本業なもので文章が難解になってしまうことが往々にあるとは思いますが、わかりやすい論旨展開で、「恋愛を科学する」という学術作法や、学問自体に興味を持ってもらえたらと思います。

 

それにしても、どうしたら興味を引いてもらえるんだろう…

恋愛を学問すること、科学することは世の中に受け入れられないような気がする

長いタイトルですいません。

 

こんばんは、わなみあやです。最近はインターンいろいろいってます。ある企業では、おみやげをくれたのが印象に残りましたね…笑

でもそれ、いらないもの過ぎて…

 

 

 

恋愛を学問的に捉えても、それから行動をこうするべきだということをいうのは難しいです。

なぜならそのサジェスチョンは、本来の学問の役割とかけ離れているからです。社会科学は特に、「社会」の「科学」なのですから、社会的にその科学を行うことが要請されていることが前提条件として存在します。

そのため、「社会」を中心に捉える科学、学問は「個人」という存在にたいして、なんら一つとして行動の改善提案を行うことはありません。個人に対してこうしろああしろという研究をしているという社会科学者は、今すぐやめちゃえって感じですよね。うん。

ただ、人文科学でそのようなこと(個人に対してこうしろああしろっていうサジェストをすること)は少しみられ、だからこそ「恋愛学」という言葉が創出されているような気がします。

たとえば、応用心理学。心理学の諸知見を実際の問題場面で活かそうねみたいな感じの学問らしいんですけど、発達心理学(子どもが主領域の心理学)と相性よさそうですよね。

そいうよーな学問が、「研究を実際の行動にあてはめて、行動を改善すること」を容易にしてきたように思われます。

そのこと自体はいっこうにかまわないのですが、学問の力を借りることで権威があるかのように見せることで行動改善や、人々の行動を断じてこれがいいあれがだめと論じることを安直に行うことが可能になってしまいました。

本当の学問を知ることや本当の情報が欲しい人をつなぐことを、昨今のメディアは難しくしてしまったのです。

まあ、学問の提供できることっていうのを人に伝えるには、実際に効果がありそうで可能性が高そうで相手にとってためになるっていう条件がないと聞いてくれませんから、どうしてもこびなきゃいけないんでしょうけど。

 

あれですよね、実用性、もとめられがち的な。

 

 

 

本当に学術的裏付けがしっかりしている恋愛学は、早々多くなく、いろいろな人々の気を引くために、どうしてもイメージや都合のいい形で物事を伝えるための「言葉」としてしか「恋愛+学」という言葉が使われているようにみえてなりません。

巷でよくある「恋愛心理学で恋人を手に入れよう」とか「恋愛研究所がお送りする理想の付き合い方」みたいな言説は、個人の感想を語る会と同じになっていませんか?本当にそこに学術的裏付けは存在していますか?「アメリカの科学者の研究によると、」とかいって、適当にありそうな論文をちょちょいと加工して、一次情報を看過させようとしていませんか?っていう。

メディアが提供する学問として恋愛を科学する人々に対して、社会科学の研究者として私は疑念を投げかけます。

 

言っていることが非常になんかいでしょうが、学問は人々の行動を是正するためのものか?ということですよね。

うーん、恋愛学とかいってるけど、実は個人の感想なだけだよね、みたいな?

 

ま、これも一学生のたわごと。

 

恋愛を科学する、なかなかなかなか進まないんですけど、そろそろゼミなどでもしゃれにならないのでなんとかしたいです。ああああああ。