デートスポットの社会学①
こんにちは。わなみあやです。そろそろアクセスに有利になるようにいろいろ対策もしていきたいところですが、なんだかんだ言葉を意識できずに使ってしまっている日々です。お盆に至るまで案外バタついてしまっていて、しかも来週からどこかのインターンいかなきゃいけないしでこのような忙しさになれずにきてしまっていて駒場での過ごし方間違えたなあみたいな感じです。
仕事や課題、研究に対してきちんと取り組むことを学んでくればよかった。
まあそんなことはさておいて、ぼちぼち今日もつらつらと述べていきます。
でもまあ最近本格的に「恋愛」が遠ざかっていて、紙や論文上でしか「恋愛」に触れていないので、さあ問題って感じではありますが…今更研究課題を変えるわけにもいかず、これでいいのかな、でもまあ仕方ないなと思いつつ…まあその個人のことに関しては今後詳述してきます。笑
題名にもある通り、デートスポットの社会学に関してですが、まずデートスポットの定義からしっかり確認していきましょう。
そうですね、デートスポットといえば恋愛関係にある、もしくはこれからそのような関係を形成する人々がおとずれるとされているところでしょうか。例えば、ディズニーランドとか?秩父とかは違いそうですね。
ある程度有名なところで、観光にせよなんにせよ、2人で思い出を共有できるというのがキーポイントですね。私もいろいろありました。
あらゆる観点から語られることが往々にしてあります。旅とか、メディアとか、諸分野で…
ただ悲しいかな、その思い出は年齢があがり経験が豊富になるにつれて、比較され、選択されることになってしまうのです。例えばディズニーランドは一つしかなく、そこでの思い出はいくつか形成されていくわけです。固有な場所での固有な思い出達は被るから、比較して優位なものが想起され保持されていくわけです。直近なものは思い出される可能性は高いけど、今後長々と「ディズニーといえば?」みたいに想起する機会があれば直近の思い出を思い出すわけではないのです。
それをついつい話してしまいたくなることや、同じ場所に行ってしまいたくなることがあるのが、人の心理なのでしょう。さあ、どうしたことか…
「信頼している人だから」とかいって、閾値が低くなったり、共有せんとしたくなるのでしょうか。こまったしんりですね。やだやだ。
割と救いようのないデートスポット問題、今後あらゆる引き出しから論じていきたい事象の一つです。
さあ、明日も更新頑張るぞ!!!